排水口 先日の京都旅行のひとこま。
日曜日の朝のテレビ放送には明るいニュースは少なく、
厳しい社会状況の連続である。
何か社会全体が排水口に向かって静かに流れていく
ような日本国民の気持ちが疲弊した方向に進みゆく
感じがして来る。
明日より鶴ヶ島市24年度予算について第二ラウンド
が始まる。
鶴ヶ島市として何か明るい予算方針が出てくるのだ
ろうか、石橋を叩いて渡る予算でなくて全国的に見ても
納得できる方策は出てくるのだろうか、他の市の後追
い予算では議員としても市民としても納得はいかない。
坂戸市の市長選挙は今年の四月、鶴ヶ島市の市長
選挙は来年の行われる、財政不足だからの理由は
市民には聞き飽きている、締めるべきところを温存して
いても良いがそこから生まれてくる政策の価値が問題
である、例年同じ事の繰り返しでは市民は納得しない。
こんな排水口では高い入場料を取っても、
いくら有名なお寺さんでも納得はで出来ない。
小さい所にも気を使うのがプロの目であり、
市民の感覚である。
せめてこの程度の排水口で十分だと思うが、
造る人の優しさを一つの排水口で感じとれれば
このお寺さんの拝観者を受け入れる気持ちがわかる。
日本の先行きは難しく、もうどうにもならない気持ちに
なるが、一人一人が自分の持ち場をしっかりと守り
通せば、少しづつ回復していくと思う。
たとえ排水口でも大切な役目があると今回の京都旅行
で感じた一つでした。