7日東公民館において第30回どんど焼きが多くの
人達の協力により行われました。
強い風も止み4時30分に点火され今年の安全を
祈る炎となりました。 以下写真です。
松明から松明に点火
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2012
01
08
2012
01
07
一年の半分程度しか姿を見せない福寿草。
霜の降りてる土よりつぼみを今年も出していた。
10日程過ぎると黄色の花太陽に向かってを咲かせる。
正月、6日アット言う間に過ぎてしまった。
自分のペースをつかめず、振り回された新年だった。
いよいよ、明日から今年も多忙の日々が始まる。
今日も日が変わって七草になってしまった。
穏やかな日差しの中で、カメラを離さず春を求めて
シャツターを押したがまだまだ春は遠く感じた。
日本の福寿草はまだまだ芽を出そうとしていないし
芽を出そうと努力も感じられない、今年も異変が早くも
始まり、雨の降らない日が25日も続いている。
(ヨーロッパのユーロ安が気になる)
(日本の経済界見放した政府が気になる)
(次の政府の担い手が不在だ、経験のある自民党
も不安であり、経験のない維新の会・みんなの党も
当てにならない、牢から出た人が押していた小沢さん
?)
日本再生を一日も早く願いたいものです。
2012
01
04
年末につぼみだった花を今朝早く東松山まで今年一枚目
の写真を写しに行来ました。
この寒い中、見事に咲いていました。名前は知りませんが
一本の軸に薄紫色の小さな花を幾つも付けており、霜の
中で頑張って開いていました。なんとなく気になる花でした。
元日から働いている人は今日あたりから休みになり、
公務員の方は今日が仕事始め、齊藤家は新年二日が
仕事始め、差金、墨つぼ、墨さし、丁刃にお神酒を上げ
差金でお祓いをし、一年の安全を祈願を行い、新年会を
行う、実際の仕事始めは七草までは刃物に手を付けない
しきたりだが、今はそんなに休んではいられない。
元旦は近くの神社の初詣の跡かたずけを八時から
行い、10時より高徳神社の元旦祭、2日3日と新年会
今日4日は例年新年会の施知日に当たる家で今年は
新年会がないとの事で雑務をこなす予定でしたが、
水道が出ないとの電話があり修理に2時間、植木の
手入れが年末に出来なかったので始めたら「すごい
寒さ」たまらず室内へ、齊藤家は古い家(築47年)で
室内でもとても寒い、今造っている高断熱の家とは
室温が10度は違う、早く直さねばと誰かが言っている
「さあ、明日からまた頑張るぞ」
2012
01
01
平成24年元旦 辰年
毎年、友人に干支を書いて頂いています。
A3版の力作です。
通常、龍が玉を握り締めているのが普通ですが、
昨年の災害を思い、それぞれの目的を持ち向か
っていく龍の姿を描いたものです。
今年こそ良い年でありますように、そして国民の
誰もが前を向いて進めるような年にしたいです。
私も、自分の立場の中で、「教育」掲げ議員活動
をしていますが、教育を充実させることで福祉に
つながり、最終的には都市計画に及ぶもので
あると考えております。
市民の皆さんが少しでも住みやすい鶴ヶ島を
目指して努力を重ねる気持ちです。
皆さんとともに平成24年辰年を少しでも高く昇り
つめましょう。
今年も宜しくお願いします。 齊藤芳久
2011
12
31
激動の平成23年は本日をもって終了します。
皆さんお世話になりました。
平成24年に始めましたこのブログも今回で467投稿
となります、多くの方に見ていただき内容の責任の重さ
を感じるのと同時に最近、あまりの忙しさと体力のなさ
で、投稿の回数が少なくなってしまいました。私にとって
のこのブログは自分で感じたままを書いていますが、
最近は何かを抑えうわべだけの言葉になりがちの投稿
に自分でも不満を持っております。 「反省」
明日からは平成24年、私にとっては激動の年と考えて
います。
多くの人に支えられた今年を忘れずに、また、多くの事に
反省し、心からの感謝を申し上げます。
ありがとうございました。
2011
12
30
カニサボテン 寒い時期に花を咲かせる。
今年も後一日である。
国会でも新党が出来そうだが、次期落選組のあがきに
見える。
我が市でも新党結成の準備が進んでいるようだ。
災い-2
情報は早く市民に伝えた方が良いのは当たりまえだが
県議会の委員会の情報が、ある県議のブログにて発表
されているのだ、鶴ヶ島の農業大学校の移転の時期が
発表されており、市は市民に対してどのように伝えて、
行くのだろうか、情報公開については何処まで機密に
していくのかが問題である。
今後の対応としては議員対応の考えを示し、県との
つながりを密接にしていく状況が大事である。
新しい年に向けて、考えを一新しなければならない。
早稲田大学の各市の議会改革指数による順位が49
位から79位に下がってしまいました。
埼玉県では何とか3位に留めてはいるが、議会改革
推進委員長としては残念であります。
2011
12
29
正月の漬物用の白菜 家ごとに付け方が違う。
清水寺の今年の文字は「絆」でありました。
今年の私の文字は「災」と思います。
地震での「天災」 津波での「連災」 原発事故の
「人災」としたい、それと政府のなれない対応の「人災」
何とも言えない寂しい年末であります。
我々の対応はどうであっただろう?
放射能対応については市役所任せの部分がかなり
あったと思う、市の案を審議するだけが議員の危機管理
であったのだろうか?
危機管理とは事が起きた時に行うのでなく、通常時に
行うのが危機管理であると思う。
放射能測定機、その他の測定機にしても、当初から
予想出来る機材であり、準備すべきものであった。
私の一般質問で災害に対応する機材は先決処分でも
いいから先に発注すべきと言ってはいるが、期間がだいぶ
過ぎての先決は筋が通らないかもしれない。
後追い危機管理の体制は考えなければいけない。
しかし、危機管理は市の責任だけを言うのではなく
今後は、議員自身の立場として危機管理に対応していか
なければすまされない時期に来ているようだ、今年一年を
振り返り反省すべきことは多々ある。
我が市でも「人災」があった。
市の重要事項が次々と議員の知らない間に公開されて
いる、今回も大切な事が他の場所で市議会議員も知らな
い所で公開されていたのだ。調べた議員も大したものだが、
知らなかった議員は情けなくなる。
市としてはいつ発表するのか、「これも人災」である。
つづく
2011
12
22
北風の中で干される大根
人間とは勝手である、小さい頃は大根おろしですられて
食べられ、途中では大根の煮物として食べられ、今度は
北風の中で干され惨めなものである、これから樽に押し
込められ塩をふられて苦しい時が待っている、そして細
かく切られて食べられてしまう。
分身は切干とかす巻きとか正月に向けて悲惨な目に合
ってしまう。
でも何本かは春まで待って花を咲かせ種を付け子孫を
残す役目を果たす。「たかが大根、大したものだ」
報告書が終了した。明日、議長に提出する。
鶴ヶ島市の将来を考えると真剣に考えなければならな
い問題の報告である。
幼稚園と保育園どう見ても保育園が優遇されているよ
うに見える、同じ年代の幼児・児童が同等の環境の中
で育つ、環境を造るのが本来の形であり、国、県、市と
しても同等に考えねばならない。
たかが1市議会議員の報告だが今後の鶴ヶ島の教育
を考えると広く考えて行かねばならない課題であると
思う。
私なりには時間をかけて資料を集めまとめ上げたが
結果が出なければ何にもならない。
どんな結果になり報告できるか楽しみです。
北風と風邪に気をつけてください。
大根は北風に吹かれて乾くと甘みを増すという。
2011
12
18
早くも咲き出したろうばい(蝋梅)この字でいいのかな?
日曜日の陽だまりの中で静かに咲いていました。
厚生労働大臣の言葉に動かされている国民。
此処のところの発言はあまりにも根拠がなく、
鶴ヶ島市の文教厚生常任委員長としては
「いい加減にしてくれ」と言いたい。
いい加減文字にあらわすと「良い加減」ちょうど良い
という意味で、言葉で言うと怒りの言葉となる。
年金の68歳給付開始・年金の引き下げ・子ども園の
見送り・診療報酬の値上げ・その他なんでもかんでも
言い話しそのたびに民主党の方針と合わず、先送り・
見送り等の言葉が列挙してくる。少し調子に乗り過ぎて
いるのか、大臣となり自分の思いを根拠を出さずに
言い放題、それとも財務省と戦う厚労省の役人が言わ
せているのか、どちらにしても地方の自治体はたまら
ない、もう一つは後期高齢者医療制度を24年度内に
改正し、平成25年より他の保険と統合して実施する
予定としているが、どうなるものやら?
忘年会で秩父に行ってきました。
夕方家を出て白久の旅館で一晩を過ごし、午前中に
帰ってくる日程、久しぶりに温泉に入り昔の仲間と楽
しいひと時を過ごした。
秩父鉄道に西武線の電車が走っていました。
中学のころより毎年元旦に武甲山に登っていましたが、
今の武甲山を見ると涙が出るような気持ちになる。
日本の経済成長を支えた山かもしれない、白久の駅で
は多くの山歩きの人たちがいました。
2011
12
16
何処が花弁かわからない。
一般質問でのこと
「学力向上はばたきプラン」の中では家庭学習習慣の
確立を目標としている。
学校において家庭教育をどのように管理するのだろうか。
難しいことである。
まず学校教育の中で30年にわたり「ゆとり教育」を行っ
てきた結果、学力・体力の低下が叫ばれ「学力テスト」
なるものを行い、都道府県・市町村で競わせ学力向上を
図っている。
しかし、その結果を公表しない市もある。鶴ヶ島では全体
の報告はあるが学校ごとの発表はない。
「ゆとり教育」の中で育った子ども達の子どもが入学して
おり、その親をどのように教育し家庭教育を充実したもの
にするのか厳しいと表現しざろうえない。
学校教育の限界を地域社会に補い、その次は家庭教育
に期待をするようになってしまったのか、一時は学校の
教師世界は牙城であり、他人の入りえない世界であった
が、地域を受け入れ、家庭まで協力を頼み、その中で
学校・教師としての威厳を保たねばならない、大変な
時代が来てしまった。
その中で議員から率先して家庭教育を地域の中で広
げるようにと「委員長」より言われてしまった。「議会初
めての発言ではあったが迫力がありました」 つづく
う