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川崎平右衛門定孝2

2010
01
27

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福寿草 大輪

昨日は途中で終わりまして申し訳ありません。昨日の続きです。
川崎氏の祖先は北条氏に仕え、現在の府中市で帰農し子孫と
して平右衛門定孝は生まれ、享保年間、幕府より武蔵野開墾の
令が出るとこれに従事し力を尽くし、その功績は幕府に聞こえ、
大岡越前に登用され新田世話役として召され代官の職に付いた
延享年間、定孝は高倉新田すなわち鶴ヶ島市大字高倉地先の
三角原に居住し、武蔵野新田八十二ケ村を支配した。その中に
は坂戸市の片柳新田や関間新田も含まれて居ます。
定孝の施策は農本主義の善政で新田八十二ケ村各戸に稗五升
ずつを課し、これを売却し貯蓄利殖しその利息金を扶助金として
各村に交付し村政の窮乏を救った。村民はその恩義に感じ功績
を慕って「川崎大明神」「武蔵野御救氏神」碑を建てたという。
以上 田中一郎氏の書による
現在も高倉三角原には「川崎大明神」と刻まれた碑が土塁に
囲まれた小さな社の中に祭られています。(鶴ヶ島中学校のテニ
スコートから407号線の方向に約100mの場所です)
鶴ヶ島にこんな歴史があった事を田中氏と見て回りました。
田中氏は覚えているかどうか分かりませんが私が二十歳の頃
先生と勉強をした覚えがあります。かなりの高齢ですが元気です。

 

高倉新田今の鶴ヶ島市大
字高倉
まれ

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